琴川に大規模な風力発電の計画があると5月26日の秋田さきがけ新聞に掲載されました。
地元住民への説明もまだなので、計画はまだ初期の段階であると思います。
突然のことでわからないこと整理できないことも多いのですが、早い段階で多くの人に知っていただき、力になっていただけるなら本当にありがたいです。
友人たちがFacebookで反対の声を上げてくれ、それに対してのコメントやシェアから皆さんの思いが伝わってきて、絶望の中から強い光が差し込んでくるような感じを覚えています。
私は、どうしてもこの場所を守りたいです。
12年前からホタルカフェという夜の営業を行ってきました。
ホタルは自然環境の素晴らしさを証明してくれる生き物であり、これほど広域でホタルの乱舞が見られるところはないように思います。
コロナでできない期間がありましたが、今年はホタルカフェを開催したいと考えています。
詳細についてはまた改めて投稿させていただきます。
その環境を守りたいという思いで、5年前から上流の耕作放棄地で田んぼもはじめました。
琴川の山からしみ出し集まってくる山の水は、肥料もやらず、藁や米ぬかなどほとんど戻していない田んぼでも立派な稲が育ちます。
耕作放棄地だったところにホタルが増えていきます。
冬も水を張りっぱなしの田んぼには他にも様々な生き物が集まってくるようになりました。
田んぼの氷が溶けると、産卵のためにヤマアカガエルが山からおりて来て、3月の上旬からカエルの声が鳴り響きます。
サシバという鷹がその頃に戻ってきて毎年巣を作り、田んぼの近くでずっとカエルを狙っています。去年の春は2羽のコウノトリがしばらく滞在していました。
モリアオガエル、サンショウウオなど希少な生き物も当たり前に目にすることができ、田んぼにいるだけで里山の生態系がいかに多様なのかを感じることができます。
ただ田んぼがあればいいわけではありません、田んぼをやったからこそ実感できたことですが、山が健康であることが最も大切だと感じました。
最近は山にあまり手が入れられていなくなってきていること、山の農地が耕作放棄されてきていることが心配でした。
3年前からはじめたパンの販売の目的は山の耕作放棄地で小麦を作ること、そして山の木を使ってパンを焼くことです。
冬も水を張っている田んぼで山の養分を受け止めて、そこでできた藁、籾殻、米ぬかは上流の小麦畑へ返し、土壌微生物の餌となり植物の成長に必要な養分が作られます。
山の活用については、友人と「男鹿森の人プロジェクト」というグループを作りました。
林野庁の森林・山村多面的機能発揮対策交付金を活用して6月から山の手入れをしていくことになっています。
木は成長する過程で二酸化炭素を吸収し、体(炭素)を作っていきます。
広葉樹は切っても切り株から新しい芽が出てきて、また空気中の二酸化炭素を吸収し体を作り始めます。
山の木をエネルギーとして使ったあとの灰にはたくさんのミネラルが残っているので山の畑に戻すこともできます。手をいれることによって山に光が入り、空気が流れるようになります。
土壌微生物のことも考え愛情を持って山と関わっていけるなら、里山の木々こそが本物の自然エネルギーを生み出しているといえます。
多くの人が山に手を入れて活用していく流れを琴川から作っていきたいと考えています。
去年、国際教養大学と秋田県立大学の学生2人が男鹿に移住して、琴川で20年以上使われていない耕作放棄地までの道を再び切り拓き開墾をはじめました。
彼らは今年大学を卒業し、コーヒーの販売を通して里山を守るための新たな事業も開始しています。
一緒に田んぼや畑をやってくれている人、養蜂家を目指す人、藍染の職人を目指して畑にくる人、琴川の山に多くの人が来るようになってきました。
移住を考えている人も増えてきて、空き家の持ち主と交渉も進めています。
若い世代が魅力を感じて集まってくるこの場所は、未来への可能性にあふれています。
しかし、大型の風車が立ってしまったらそのような未来はなくなってしまいます。
人がいなくなっていき、ただ風車ばかりが回っている風景しか想像できません。
私は絶対にあきらめません。
一緒に反対の意思を示してくださる方。
配慮書に対する意見を書いてくださる方。
専門分野に詳しい方、
里山の土壌や野鳥、生き物への影響について詳しい方。
メディアに関係した仕事をしている方
どんなことでもいいのでどうか皆様の力を貸してください。
琴川集落のすげが自生しているところを見学してきました。
緑色のが菅(すげ)です。初めて知りました。
大きいのは50cm以上に成長していました。
4月からはじまったすげ笠作りの学習会、確実に材料を確保できるよう自生地の手入れもやっていかなければなりません。
それから、山桜がやっと咲き始めました。葉っぱと花が同時に出てきます。
菅江真澄の「春風」にも記されている琴川の桜、これからが見頃ですよ!
4月1日に行われたすげ笠づくり学習会の様子を紹介いたします。
開催場所は琴川公民館、師匠含め16人、20代から80代まで幅広い年代が集まりました。
師匠たち以外皆初めての経験です。
会長の説明に熱心に耳を傾けます。
まずは、竹を削って竹骨を作ります。
そしてそれを輪にします。
竹の輪ができたら、12カ所に差し込み口を作り、6本の竹で骨組みを作っていきます。
鷹巣のTさんは魁新聞の記事を見てすげ笠の作り方を教わりたいと会長に連絡、私とも1月くらいからコンタクトをとっていました。
さすが職人さんです、はじめてとは思えないほどきれいで早かった。
加茂青砂で漁家民宿「海辺のおうち 青の砂」を経営する土井さん夫妻は発想が豊かです。
「加茂でもすげ笠講習会やろう、土井さんの民宿泊まりに行こう」と会話も弾みます。
世代をこえて、いつの間にかみんな仲良しになっていました。
次が本当に待ち遠しい。
農村はこれから忙しい季節、第2回は田植えが終わり少し落ち着いてから、私もそれまでしっかりと復習しようと思います。
珈音のある琴川集落は、昔からすげ笠作りが盛んな集落でした。
すげ笠というのは、農作業のときに日よけや雨よけとして頭にかぶる平たい円錐形のかさで、時代劇などでも見ることがあります。
すげ笠は、北前船により加賀から伝来されたといわれています。
琴川には良質の菅(すげ)が自生し、竹や山桜の木も多く、それらを材料とするすげ笠作りがこの集落に定着するのは自然なことだったと思われます。
すげ笠作りは、農作業が終わってから、冬の間の副業として行われていました。
今、半農半Xが話題になっていますが、昔はそれが当たり前のことだったのかもしれません。
そして、農村から様々な仕事が生まれていたのだと思います。
しかし、すげ笠に変わる、安くて便利なもの(麦わら帽子など)が大量生産されはじめるとすげ笠の需要は少なくなっていきました。
農作物も外国から安いものが大量に入ってくるようになり、農業で生活するのも難しくなり、農村からどんどん人がいなくなっていきました。
時代の変化の弊害を最も被ったのは農村だったのかもしれません。
しかし、今も急速に時代は変化しています。
今後は日本古来のものが見直される方向に進むのが自然な流れのような気がします。
消費者は安全、安心な食べ物を求めるようになってきており、今後の農業の可能性も大きいはずです。
それから、農業や伝統工芸に興味を持つ若者が増えているように思います。
若い新しい感覚で伝統工芸に取り組むなら、また新たなものに発展するかもしれません。
インターネットでの販売もできます。
農村から、いろいろな仕事が生まれていくかもしれません。
今こそ、農村を見つめなおすときだと思います。
安田浜に注ぐ小さな川があります。
いろいろな呼び名がありますが、地質学者の間では安田川と呼ばれているようです。
地層はこの先にあります。
ジオトレッキング当日は、橋をかける予定です。